社会の舌触り|文・種山颯太

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大人の常套句

十代の頃、周囲の大人たちから言われて特に嫌だった言葉がある。

それは、「社会は甘くない」という言葉だ。

提出物を忘れた時、遅刻した時、約束を反故にした時。

事あるごとに教員やアルバイト先の店長はしたり顔でこの言葉を私に向けてきた。

「社会は甘くない」以外にも、以下の言葉を大人たちはよく使っていた記憶がある。

「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」

「大人の世界は厳しいよ」

「世間を舐めるな」

これらの言葉を投げつけられる度に私は強い反発心を抱いていた。もっと言えば、それまでにどれだけ優しくされようが、こういった「大人の常套句」を吐かれた瞬間、私はその大人を心の底から侮蔑していた。

社会が厳しかったのではなく、あなたが甘かっただけでしょう、と。

あなたの物差しと、私の物差しは一から十まで違いますから、と。

こういった憤懣に加え、「十代の若者に対してそんなことを言って何になるのだろう?」という単純な疑問もあった。

若さという有限かつ最強の武器を持った自分たちを脅して楽しんでいるようにしか思えなかったし、未来の可能性を信じて疑わない十代の瑞々しさを僻む愚かな大人たちのいじわるにすら感じていた。

そんなことを言って若者を牽制するよりも、「大人は楽しいぞ」と声高らかに言ってやった方がよっぽど教育にいいであろう。

だからこそ、「社会は甘くない」などとぼやく愚鈍な大人に自分は絶対になりたくなかったし、社会に旅立つことの素晴らしさ、大人の楽しさを子どもや若者に伝えられるような、そんな影響力を持った人間になってやるのだ、と十代の私は一人で秘かに鼻息を荒くしていたものである。

現実の味見

そんな学生時代を過ごし、二十歳で社会へと羽ばたいた私だったが、学生時代の威勢の良さは一瞬にして失うことと相成った。

新卒で入社した会社を僅か一ヶ月で退職してしまったのである。

言い訳も真っ当な理由も何もない。ただ、生得の怠惰な性格と無能さが頭を擡げてしまっただけのことだ。

そして、これが引き金となったと云う訳ではあるまいが、二社目は半年、その次の会社も半年で退職してしまった。

二十代前半にして早くも正規のレールから逸脱してしまった私はやたけたな気持ちになり、その後はアルバイトもろくに続かず、裁判沙汰を二度起こし、気が向いた時にだけ日雇いバイトに出向くような救いようのない日々を経てていた。否、今も状況は殆ど変わっていない。

家族からは多額の金を借り、周囲の人間からは「負け組の生活不能者」の烙印を押され、先を越されたどころか、もはや何周の周回遅れかも自分で分かっていない為体。

畢竟、社会は甘くなかったのである。

過去の私が絶対に踏んでたまるか、と気負っていたマジョリティーの轍を、例外なく私も踏んでしまい、その泥沼に嵌まり込んでしまったのだ。

なりたかった大人にはなれず、なりたくなかった大人以下の、身体だけ大きくなった子どもが、その泥沼の中で立ちすくんでいた。

社会の舌触り

先述したように、社会は甘くなかった。

結局のところ、社会は厳しく、大人という存在は不自由で退屈で、私はあの頃の大人と同じようなしたり顔で「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」などと若者に偉そうに説教する老人になる。

―というのが定石であろう。

あの頃私を窘めてきた大人達は、私がそうなったことをむしろ喜ぶかもしれない。

だから言っただろう? と。

やっぱり、社会は、大人の世界は厳しいだろう?と 嬉々として私に言うかもしれない。

しかし、残念だがまだ私はそんな物分かりのいい大人にはなれないようだ。

悟ったような顔をして厭世的に生きていく虫けらになるだけの諦観を、まだ私は持ち合わせていないようだ。

何を隠そう。

私はまだまだ社会というものに希望を抱いてしまっているのである。

大人って案外悪くないのではないかと、本気で思ってしまっているのである。

などと云うと、奇特な楽観主義者の戯言に映るだろうが、決してそんなことはない。

確かに、社会は甘くなかったし大人の世界は厳しかった。

しかし、逆に言えば、ようやく私は社会の舌触りを確かめられる大人になったのだ。

大人たちから脅すように教えられてきた社会ではなくて、人伝に聞いたものではなくて、自分の目で、耳で、心で、社会というものを、大人の世界ってやつをようやく味わうことができるようになったのだ。

そんな贅沢な今の自分の状況を考えれば、勝手に絶望している暇などない。

誰かに決められた世界しか見ることのできなかったあの頃よりはよっぽど今の方がましだ。

往時の私が夢想していた「社会に旅立つことの素晴らしさ、大人の楽しさを子どもや若者に伝えられるような、そんな影響力を持った人間」にはなれなかったが、せめてあの頃の自分には伝えてやりたい。

「確かにそこから先は険しい道が続くが、その道も案外悪くないぞ」と。

もっともっと、社会の色々な部分を味わいたい。

苦いところだけではなくて、甘ったるいところも。

冷たいところだけではなくて、熱いところも。

もっともっと、大人の特権を公使したい。

何を食べるか、どこに住むか、何をするか、せめて全部を自分で決めてから絶望したい。

周囲の人間から「終わった」と思われようが、「堕ちたな」と言われようが、土台、そんな事を気にしていても仕方がないのである。

堕ちたなら堕ちたで、その底辺の肌触りを自分で確かめてみるだけのことだ。

大人とは、青春の出口を潜り抜けてしまった人間のことではない。

大人とは、人生の地図を自分で描き始めた人間のことである。

社会の隅から隅まで味わい尽くした後、自分がどんな地図を描いているのか、今から楽しみで仕方がない。

写真:Yuta Minami

この記事を書いた人

種山颯太

2002年1月29日生まれ。職業不詳。自称西村賢太愛好家。毎週土曜note更新中↓

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