「台湾でたこ焼き屋×イラストレーターをする日本人へインタビューしてみた【前編:海外へ飛び出す編】」では、たこ焼き屋を始める前に、久保さんがハーレーの整備士をやっていたり、オーストラリアのファームで働いたり、日本食レストランでキッチンリーダーをやったりする話を聞きました。そして、次はビールを作ろうとしています。これからどのような経緯で、たこ焼き屋をやるのでしょうか?そして、台湾でたこ焼きを焼いたりや絵を描く久保さんの思いとは?

お金を使い果たし、すっからかんで日本へ帰国。
久保:姉が結婚するタイミングで、日本に一時帰国したのですが、またすぐにフィリピンへ戻りました。ローストチキンのレシピを知るためです。漠然と、次は食をやりたいという気持ちが昔から何となくありました。自炊していろいろと研究するのが好きで、美味しいものを極めたいという思いがあったんです。海外に出る前から、まだ知らない何かすごいものに出会えるんじゃないかという期待感を持っていて。そんなギラついた目に飛び込んできたものがフィリピンの路上で売られていた一羽丸ごと使ったローストチキンと、オートストラリアで出会ったクラフトビールの世界でした。
フィリピンのローストチキンは、とってもジューシーで甘酸っぱいレバーソースをつけて食べるんです。もう最高においしくて絶対にこの味の秘密が知りたいと思いました。
またそのフィリピンの修行の際に、宿として使わせてもらった友人の家がエアコンもないし、上下水道ないようなところで。家の中に井戸がありました。お尻も井戸水で洗うみたいな生活を1ヶ月間しました。すごく楽しかったです。この1ヶ月間はフィリピン人になれました笑。
⎯急に来た見ず知らずの外国人を受け入れてくれるってすごいですね。
久保:日本はおもてなしの国とよく耳にしますが、僕はフィリピンや台湾とかの方がもっとおもてなしの国のような気がします。日本人ってアジア圏の外国人に対してちょっと厳しかったりするじゃないですか。でも、彼らは本当にピュアに超優しいです。もう家族みたいにしてくれて。 東南アジアの大きな魅力は、人のあたたかさだと思います。
⎯オーストラリアのビールの方はどんな感じだったんですか?
久保:オーストラリアは、まず彼らのパブ文化に驚きました。小さいビール工場が沢山あって、休日にそこにみんなで集まってクラフトビールを飲みます。ピンポンボールをしたり、ボードゲームしたり。そこで、ビールにもたくさん種類があることを知りました。日本のビールしか知らなかった自分にとっては、本当に稲妻に打たれるくらいの衝撃がありました。
⎯うわ…素敵ですね。フィリピンで1ヶ月過ごした後はどうしたんですか?
久保:お金を最後まで使い果たして海外を満喫して、日本に帰ることになります笑。
フィリピンのあと、ニュージーランドにずっと行きたいと思っていたので、ニュージーランドのタウランガっていうところに行きました。ニュージーのマイアミだと聞いて行ってみたかったんです。サーファーが沢山いて。僕も刺激を受けて、サーフィンを始めました笑。ローカルのレストランで働きながら1年くらいいました。夢のような時間でした。
その後は彼女のいるオーストラリアに戻って、ただただお金を使う生活になってしまいました。海外で貯めてきたお金がそこをつきかけたとき、陸路で日本に帰ろうと思いつき、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナムを通って、すっからかんで日本に帰りました。
人生の方向性を変えた、コロナ禍。
⎯アジアを回る機会、人生で一度は欲しいなと僕も思います。日本に帰って何をしましたか?
久保:日本に帰る頃には、もう気持ちはビールに向いていたんで、日本のクラフトビール会社を調べて、就職することになります。就職したのは、静岡にあるクラフトビールの会社でした。そこで2年間、1からビール作りについて学びました。まったくの未経験の僕を受けて入れてくれた会社関係者の方々には今も感謝しています。
ビール作りを志してからは、将来自分のブリュワリーを持つのが目標になっていました。それにアデレードで見た半自給自足の生活と上手く融合できたらと思いビール作りに打ち込んでいたら、コロナが始まってしまうんです。
⎯コロナ禍は、ビール業界にも影響がありましたか。
久保:大打撃でした。パンデミックが始まると大きな仕込み用のタンクが空になっていきました。在庫過多で、作れないんです。仕事量は激減しました。
ブリュワリーを持つとなると、いくら小さくても相当な金額が必要で大きく借金することになります。そのなかで、パンデミックのようなことが起こるとオーナーにかかる多大なストレスを想像するのは簡単です。「このような苦難を乗り越えていける自信と信念が自分にもあるのか」と、このコロナ禍に問われました。そして、ビールの道を諦めて、また違う道を探すという選択をしました。
台湾に移住して、イラストの仕事をする。
⎯ビールの次は、何をしようと思ったんですか?
久保:パンデミックで妻とも一緒になれないので、もう台湾に行くかっていう気持ちにシフトしていきました。台湾でどう生きていくかを妻と話している時に、コロッケはどうだろうかという流れになりました。というのも、オーストラリアにいた時に、彼女の友達の台湾人のコミュニティのパーティーにコロッケを持ってた時があって、それがめちゃくちゃ受けたんです。ブリュワリーで働きながら、最後の方はコロッケの研究をしてました。
それともう1つ、イラストレーターやマンガ家のように絵で生計を立てたいと思っていました。昔から絵が好きで、友達とTシャツを作ったり、服のブランドをしようと意気込んで、バイカー系のデザインをやってたこともあります。その友人とは今も繋がっていて、彼がやっているお店のグッズなどのデザインをお仕事としてもらったりしています。
妻が、出版やデザイン系の仕事をしていたので、イベントポスターや本の挿絵を描かせてもらっていました。コロッケなのか、イラストなのか、何が上手くいくかわからないけれど、「なんとかなるだろう」という笑。

美味しいで、笑顔になってもらいたい。
久保:具体的にコロッケの方もどうしようかって考えてた時に、コロッケは揚げ物で、大きい排煙の設備など結構コストがかかることに気づきました。単価が安い中、1日に何人集客できて、何個売れるっていう話になると、厳しい世界だと。
転機になったのは、台湾のたこ焼きが日本のものとはかけ離れていることに気づいた時です。悪い意味で、軽くショックだったんです。これはもしかすると、妻も本当のたこ焼きを知らないのではと思い、作って食べさせてみたくなりました。日本にいるときも、自分でああでもないこうでもないと理想の味になるようブラッシュアップさせていたレシピもありましたし。

久保:嬉しいことにその味は、すごく好評で。彼女の友人にもすごく受けました。その友人からもこのたこ焼きを売ることを勧められたんですが、「たこ焼き屋になるのはイヤやな〜泣」って思っていました。でも、冷静になってみると、初期投資が少額で済むし、リスクが少ない。上手くいけば大きくなるチャンスもあるんじゃないかと思い始めました。
心配だったのは、柔らかいたこ焼きが果たして多くの台湾の人に受け入れてもらえるかということでした。半信半疑であったこともあり、コケてもまた立ち上がれるよう初期投資はなるべく抑えましたね。2×4の角材を買ってきて、自分でお店を作りました。


⎯実際にたこ焼き屋をやってみてどうでしたか?
久保:たこ焼き屋は、自分発信なところがいいなと思いました。自分が美味しいと思うものを提供して、共感してくれた人がまた買いに来てくれる。そういう意味で、たこ焼きは僕の作品なんです。幸いなことに、たくさんの人から美味しいと言ってもらえるのですごく嬉しいです。
⎯自分が居心地良く働ける環境を見つけたんですね。たこ焼き屋をやる上で、大切にしていることはありますか?
久保:日本のたこ焼きを台湾の人々に知ってもらうこと。美味しいで、笑顔になってもらうことを目標に、たこ焼きを焼いています。当初心配していた日本のたこ焼きのやわらかさも、拍子抜けするくらい多くの人に受け入れてもらっています。
⎯他にも、売れるために考えたことはありますか?
久保:やわらかいたこ焼きを広く受け入れてもらうために、天かすを中に入れずにトッピングとして使うことで、やわらかさの中にカリカリとした食感を出しました。また一般的には、たこ焼きに紅生姜を使うと思うのですが、うちはガリを使っています。大阪の某有名店がガリを添えたたこ焼きを提供していて、それが僕の中で忘れられない味だったんです。それでガリを採用しました。
ただ「台湾の人にガリを添えても、誰も食べないよ」と妻の助言を受けて、刻んだものをトッピングとして上にのせることにしました。そしたら、見栄えが非常に良くなり、写真を撮って拡散していただけるようになったんです。SNSで知った遠方の方たちにも来店してもらえるようになりました。

⎯台湾でたこ焼き屋をやる上で大変なことはありますか?
開店当初、タコの仕入れには苦労しました。台湾にタコが全然ないんです…。ここでタコは季節ものなんだと初めて知りました。タコがあったとしても、こっちの希望の納期通りに納品してくれないということも多々ありました。届いたタコがすでに悪くなっていたこともあります。このような事態は日本ではあまり考えづらく、海外で商売するからこその苦労です。またこっちで買えるのは生のタコだけなので、塩で洗って、内蔵を取り、茹でて、切って、すごく大変でした。
結局、一年ほどタコを使っていたんですが、ついにどうやってもタコが入らなくなる時がきてしまって、イカを使うようになりました。イカを使い始めた当初は味の調整に苦労しました。イカを使っても違和感のないたこ焼きにするには工夫が必要でした。今は安定して、お客様にも受け入れてもらっています。
⎯実際に台湾で商売をする上で、必要な心構えはありますか?
久保:人も文化も違うので、もちろん仕事の考え方も違います。日本人の感覚でいたら、ストレスを感じる場面が多いかもしれません。海外に出てからわかったのは、日本はハイスタンダードということ。日本は世界基準から逸脱しています。日本が特別なんです。「納得できないなら、自分でなんとかする」という心構えが、この土地で何かをする上では必要なことだと思います。DIY精神です。
たこ焼き×絵の二刀流。
⎯お店のデザインがすごくく面白いと思います。 日の丸とたこ焼きを合わせていて、めっちゃ可愛いなと思います。あれはクボさんのデザインですか?
久保:ありがとうございます。そうですね。日本っていうのがすぐにわかって、やわらかいたこ焼きを表すために日章旗を少し楕円にして、お箸でつまんだデザインにしました。


⎯今は他にどんなイラストを描いていますか?
久保:自分の今の生活を漫画にしていこうと思って、今描いているのものがあります。こっち来てすぐぐらいの時に、カエルを主人公にして、台湾の出来事を漫画を描いてたんです。その漫画を小さなフリーペーパーに連載させてもらっていて、いくらかの人にはすごく褒めてもらっていたんですが、自分の描く絵にあまり納得していなくて。少し思い悩んでいる時期がありました。でも悩んで描かないでいても、何も変わらない。だから、とりあえず描いて、できたものを発表する。毎回絵柄が違ってもいいんです。自分の中のゴールに近づくためのブラッシュアップを発表し続けようと思って描いています。今もまだ完成形ではないですが、確実に今まで言葉に出せなかった自分のスタイルというものを、少しずつ言い表せるようになってきています。


⎯この先の目標はありますか?
久保:僕の目標は、絵が7割、3割たこ焼き屋にすること。たこ焼き屋は2日か3日でいい。続けていく上で体も楽ですし。体がしんどい日は開けなくてもいいみたいな笑。飲食店は本当に不安定なので、二刀流が今の理想ですかね。
ストレスフリーであることが大切だと思っています。 自分が好きなことで、うまくバランスを保っていけたらと思っています。今僕は、嫌いなことはしてないです。確かに、人生思い描いてきたのとは違います。でも、嫌なことはしないと思って辞めてから、それだけはできてるかな。
⎯ストレスフリーで働けるってすごくいいと思います。たくさん経験してきて、思い出もありますし。人生変えるきっかけに、偶然のフランス人との出会いがありましたが、お話を伺って、彼と同じレベルのことを話していると思いました。「なんだその人生って」、僕も思いました。
久保:そうですね、いろんな経験をしました。寄り道やまわり道だったのかもしれません。でも結果、後悔はしていません。今までやってきたこと、それがその時に本当にやりたかったことだったので。それでも今も悩んで、迷って、止まって、考えてます。まだまだ夢の途中だと思って毎日生きています。
取材・文:杉浦万丈



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